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モアイ像に胴体があるだと?イースター島やモアイ像についてのまとめ

モアイ像に胴体があるだと?イースター島やモアイ像についてのまとめ

イースター島モアイ像はみなさんもよくご存じだとは思いますが、実はいくらかのモアイには、地中に埋まって胴体があるということを知っていましたか?

今回は胴体つきのモアイ像を発掘する写真などとともに、イースター島やモアイ像についての歴史などの色んなことをわかりやすくまとめてみました◎

イースター島の正式名称はパスクア島

photo by newsroom.ucla.edu

まず日本人の多くの方が知らないと思いますが、イースター島の正式名称は『パスクア島』です。

これはイースター島を所有しているチリの公用語であるスペイン語の『Isla de Pascua』から来ている。

“Pascua”はスペイン語で復活祭(イースター)を意味することから、日本語ではそのまま英称由来の『イースター島』と呼ばれることが多いようです。

1722年の復活祭(イースター)の夜、オランダ海軍提督のヤーコプ・ロッヘフェーンが、南太平洋上に浮かぶ小さな島を発見し、発見した日にちなんでこの島名が付けられたとされています。

ちなみにイースター島は、チリのずーっと西沖に浮かぶ絶海の孤島です!地図を見れば、どれだけ離れているかがよく分かります(笑)

ちなみにイースター島に住んでいたポリネシア人先住民ラパ・ヌイのラパ・ヌイ語では、この島を『ラパ・ヌイ』と呼んでいたそう・・・・・・そのままやないけ(=_=)w

モアイ像を建造した理由は?

photo by adventurewomen.com

ポリネシア人たちがイースター島に住み始めた時期は諸説あり、500年頃や800年頃と言われたり、最近では1200年頃と言われているようです。

モアイ像の設置理由やその用途については、『祭祀目的で立てられた』や、SF的な『超古代文明説』などがありました。

しかし近年の調査で、台座から人骨が多数発見されたことで、「モアイは墓碑であった」という説が有力になりつつあるようです。

イースター島やモアイ像の歴史

photo by news.com

1722年にオランダ海軍提督のヤーコプ・ロッヘフェーンが、イースター島に上陸したとき、1,000体を超えるモアイ像と、その前で火を焚き地に頭を着けて祈りを捧げる島民の姿を記述しています。

そして1774年には、イギリス人探検家のジェームズ・クックも上陸したのですが、その頃には半数のモアイ像が倒されたり壊されたりしており、中には作りかけのモアイ像がそのまま放置されていたそうです。

ここで少しヨーロッパ人が到達する前のイースター島の歴史を振り返ってみましょう。

photo by newsroom.ucla.edu

イースター島は、今ではほとんど樹木のないのっぺりとした島になっていますが、昔は椰子の木などが生い茂っていました。

島民は、それを木材として家屋やカヌー、料理や祈祷などに火を起こすための燃料、そして、モアイを運ぶためなどに木を伐採し続けました。

やがて人口は約1万人までに膨れあがり、小さな島に1,000体もの像が乱立した結果、最終的に森林が消滅し、人口も激減。徐々に像が作られることもなくなり、当初、立っていたモアイ像は、部族間の抗争で倒されていったというわけなのです。

探検家のクックは、まさにその抗争の最中に訪れたということでしょうね。

photo by adventurewomen.com

そして、言い伝えでは1840年頃に最後のモアイが倒されたとされています。この倒された像の一部は、20世紀以降に考古学者や地元の人の手によって起こされました。

現在は、およそ40体のモアイ像が起こされた姿で復元されています。

18世紀〜19世紀にかけて、ペルー副王領政府の依頼を受けたアイルランド人のジョセフ・バーンや、タヒチのフランス人の手によって、島民が奴隷として連れ出されます。

1862年に襲ったペルー人による奴隷狩りでは、数ヶ月間の内に当時の島民の半数に当たる約1,500人が島外に奴隷として拉致されました。

さらに、これらの侵入者から島内へ持ち込まれた天然痘結核が猛威を振るった結果、人口は激減し、島民は絶滅寸前まで追い込まれ、1872年当時ではわずか111人だったそうです。

モアイ像とは?どうやって運んで設置した?

photo by adventurewomen.com

モアイは、島の海に面したアフと呼ばれる高台に、多くの場合、海に背を向けて、正確にはかつての住居跡を取り囲むように多数建てられていました。

もちろん、写真のようにすべてのモアイ像に胴体があったわけではなく、造られ始めた初期のものとされるもの姿も人間に近い形で、高さが3mほどで重量は20トン程度でした。

しかし、造るうちにどんどんモアイが巨大化し、最大のもので高さ20m、重量90トンにまでなったよう。顔も極端に細長くなっていきました。ちなみに原料は島で産出される凝灰岩

photo by parisperdu.blogg.org

高台のアフに建てられたことのあるものには頭と胴体があり、後期の、特に大きなものにはプカオと呼ばれる赤い石が頭上に乗せられ、一部は目と思しき造作もされています。

運搬方法は、横倒しにしたモアイ像を木のころに乗せ、大勢が縄で引っ張り設置場所まで移送。設置方法は、木の棒と大小の石を積むことでモアイ像を直立設置させていました。

この方法なら当時の人口と技術力でも運搬・設置が可能であったことを証明しています。

モアイ像復元に日本企業が無料奉仕!

photo by news.com

実は、現在直立しているモアイ像約30体のうち、島南部のアフ・トンガリキにある15体は日本のある企業が貢献したというのです。しかもボランティアで!

その企業というのは、香川県高松市に本社を置く『株式会社タダノ』

TBSの『日立 世界・ふしぎ発見!』で1988年の秋にイースター島を特集した際、「クレーンがあれば、モアイを元通りにできるのに」という知事の声を放送したところ、解答者である黒柳徹子が「日本の企業が助けてあげればいいのに」という内容の発言。

それをタダノの社員が見ており、その社員が社長に話したことがこのボランティアのきっかけだったそう。

photo by forbes.com

1992年からクレーンなどをイースター島に持ち込んで、モアイ像を復旧。使用後のクレーンなどはイースター島に寄贈しています!クレーンの運搬にはチリ海軍の協力を得ましたが、その運搬費用も全額タダノが出費!!

タダノという社名だけに、タダで・・・・・・いやいや、オヤジギャクのつもりはまったくなかったでしょうね(笑)

とにかく素晴らしいの一言に尽きますよね〜☆

 

いかがでしたか?これで少しイースター島やモアイ像についての知識があなたにもついたことでしょう◎

もしいつか機会があれば、直接この目で見てみたいものです!

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