『アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所』が開放されてから75年の年月がたった。
あまりにも多くの命が、大した理由もなく無残に殺されていったこの第二次世界大戦中のナチス・ドイツによる負の記憶。
あのようなことが再び起こることがないよう、改めて振り返ってみよう。
死の収容所『アウシュヴィッツ収容所』の惨状
photo by BBC News Japan
今から75年前、「死の収容所」と呼ばれた『アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(場所はポーランド)』の収容者たちが解放された。
収容所建設当初の目的は、ポーランドの指導者や抵抗運動の関係者を収容するためだったが、1942年までにはナチスの
『ユダヤ人絶滅計画』
の一部となっていた。
photo by BBC News Japan
1940年から45年の間に約130万人の欧州各国から集められた人たちが収容され、その90%はユダヤ人だった。
他にも、ロマ人やソ連人捕虜、同性愛者、障害者も収容され、虐殺された。
ナチスは収容者を徹底して人間扱いせず、強制労働ができない老人、子供、病人はすぐにガス室へ送られ、それ以外の者も過酷な奴隷労働を強いられていた。
加えて、拷問、人体実験なども行われ、抵抗や脱出を試みた者はゴミのように処刑された。
収容されたほとんどの人は帰らぬ人に
1945年1月27日の解放時に残っていた者と、解放前に他の収容所へ移送された者をあわせてもたったの5万人程度。
そう・・・・・・収容されたほとんどの人、つまり約110万人は劣悪な居住環境や、粗末な食事、伝染病、強制労働、拷問、人体実験、処刑によって虐殺されたのだ。
そしてそのほとんどがユダヤ人だった。
ナチス・ドイツは占領した他の地域にいくつもの強制収容所を建設し、約600万人もの人々を殺害したのだ。
こちらのBBCの動画でアウシュビッツ収容所の惨状を振り返ってみて欲しい。↓
現在は世界遺産にも登録されているナチス・ドイツの負の遺産。
犠牲となった人の中には、音楽家や聖職者、女性歌手、作家、政治家などの有能な人々も含まれていた。
アウシュヴィッツ強制収容所に収容されていた人でもっとも有名な人物は、「アンネの日記」で知られているアンネ・フランクだろう。
彼女はここで2ヶ月間収容され、その後ベルゲン・ベルゼン強制収容所へ再移送され、そこでチフスを患ってしまい1945年3月頃、15歳という若さで亡くなってしまっている。
アウシュヴィッツの悲劇は宗教がもたらした思い違いであり、ヒトラーによる洗脳が生んだものだ。
このようなことが二度と繰り返されることがないよう、私たちは何度でも思い出す必要があるのだろう・・・・・・。