私は現在、ワシントン州に住んでいるのですが、ワシントン州シアトルといえば、この人物に注目しないわけにはいかないでしょう。
『Windows』でお馴染みの『Microsoft』をポール・アレンと共に創業した
ビル・ゲイツ氏についてわかりやすくまとめてみました。
幼少期の頃から天才だったゲイツ
ビル・ゲイツは、1955年10月28日、ワシントン州シアトルで生まれ、父親は弁護士で、母親は銀行家の娘という比較的裕福な家庭で育ちました。
会衆派教会の日曜学校に通い、聖歌を歌い、さらにボーイスカウトにも入っていました。
さらに彼は若い頃、アメリカの作家であるエドガー・ライス・バローズのSFものを読みあさる一方で、フランクリン・D・ルーズベルトやナポレオンなどの偉人たちの伝記を読みふけっていました。
幼い頃から、人と違うことをするのが好きだったようで、何よりも強い興味を示していたのが、当時、世間に出回り始めたばかりの「コンピューター」でした。コンピューターといっても、まだ画面もマウスもないものでしたが、それでも当時は画期的な機械だったのです。
(↓写真はイメージです)
photo by Wikimedia Commons
その頃はまだ、コンピューターは非常に珍しいものでしたが、ゲイツの通っていた小学校には生徒のためにコンピューターを置いてあったのです。そして、ゲイツは体育の授業をサボってまで毎日、コンピュータールームに通い詰めました。
「近い将来、必ずコンピューターが人々の生活を変えるだろう!」
12歳のゲイツは、この頃すでにこんなことを言っていたそうです。それもそのはず。小学校を優秀な成績で卒業した彼のIQは、なんと『160』!!!
そしてその頃、2歳年上のポール・アレンと一緒にコンピューターを使って、学校の時間割を自動的に管理するソフトを開発。そして、これが500ドル(当時レートで約18万円)で売れてしまいます!
これでゲイツは「コンピューターはお金になる!!」と確信しました。
シアトルのレイクサイド中学・高校に入学した後も、アレンや他の仲間たちと一緒にコンピューターで色んなことをして遊んでいました。
コンピューターがある施設を利用するためのお金を稼ぐために、夏のあいだに仲間たちと簡単なプログラムを作り、一夏に稼いだ金額は、なんと約5000ドル(当時レートで約160万円)!学生が稼ぐ金額ではないですねf^_^;)
革命的プログラムの開発
そして、1973年、ゲイツはハーバード大学に入学。アレンは、会社に就職し、プログラミングの仕事を始めました。2人は少しずつ将来、2人で会社を設立することについて語り合っていたそうです。
この頃、かの有名な「インテル」が『8080』という画期的なマイクロチップを開発し、コンピューター業界から注目を集めていました。
ゲイツは、何件もの大手コンピューター会社に「8080用のBASICプログラムを書きますよ」と手紙でアピールしましたが、どの会社も返信しませんでした。
1975年、MITS社からインテルの8080チップを使ったパーソナルコンピューターの先駆けである『アルテア8800』が発売。
これが世界初のマイコン・キットでした。このコンピューターが、2年後にある世界規模のマイコンブームの起爆剤となりました。
photo by Ed Uthman
これを知ったゲイツとアレンは、もう一度将来について話し合いました。
「俺たち抜きで始まってる!みんな、このチップのソフトウェアを書き始めるぞ!!」
2人は寝食を忘れて、ひたすらプログラミングを続け、開始から8週間後、遂にAltair8800用の『BASICインタプリタ』が完成しました。
(ゲイツとアレンが制作したBASICインタプリタ↓)

photo by Wikimedia Commons
Microsoftの設立
すぐさまMITS社へこのBASICを売り込んだあと、2人は遂に「Microsoft」を設立。(正確な会社としての設立は、2年後という説もあるようです)
ゲイツはせっかく入ったハーバード大学を中退してしまいます。もったいない!と思うのは凡人の私ぐらいでしょうね(-_-;)
19歳となったゲイツは、アレンと共に総勢11人若者たちを率いてコンピューター業界の革新を狙っていました。
彼は設立当初は、現在の穏やかな人物像とはまったく違い、野心むき出しでお金儲けに貪欲な人物だったようです。
社員を集め、ホワイトボードにこれからMicrosoft社がどうやって世界を乗っ取っていくかというビジョンを熱く語っていたようです。社員たちは、彼のリーダーとしての資質に賭け、懸命に働きました。
社長であるゲイツは、社員たち以上に血眼になって働き、毎日のように職場の床で寝ていたそうです。
今のMicrosoft社があるのは、ゲイツがただ単に天才だっただけでなく、彼が如何に努力家だったかということと、素晴らしい社員たちに恵まれたからだということがこのことからも分かりますね。
photo by Shannon Ramos
Microsoftの転機
1980年、Microsoft社の運命を変える出来事が起きます。
アメリカ最大のIT企業「IBM」が、スティーブ・ジョブズ率いるApple社が開発した『AppleⅡ』の成功に対向するため、自社オリジナルの『IBM PC』の開発に乗り出します。
photo credit: debagel Computer: Apple IIe via photopin (license)
短期間でそれを開発したかったIBMは、OS(コンピューターを動かすためのソフトウェア)の開発をMicrosoft社に要請しました。
このとき、IBM本社に呼ばれたゲイツは、IBM役員から「パソコンを動かすソフトの開発は可能かね?」と聞かれ、そのような複雑なプログラムを作る技術を持っていなかったにもかかわらず、あっけらかんと「はい」と答えたそうです。
とんでもないハッタリでしたが、彼はそのプログラムを作ることが出来る男を知っていたのです。
それが、「シアトル・コンピュータ・プロダクツ」の社長で、知る人ぞ知る街の天才エンジニア、ティム・パターソンでした。
パターソンは、自分のパソコンをより使いこなすために非常に完成度の高い自家製のソフトを開発しており、ゲイツはそれを格安の7万5000ドル(当時レートで約1500万円)で購入。
しかし、後にその破格の値段はだまし討ちだったのでは?ということになったので、92万5000ドルを追加で支払っています。
そして、ゲイツは『MS-DOS』と名付けたこのソフトウェアを、単純にIBMへ売りさばくのではなく、『IBM PC』が1台売れるたびに3ドルの使用料をもらえる「歩合制契約」を結んだのです。
photo by Global Panorama
『IBM PC』は発売と同時に大ヒットし、3年後のMicrosoft社の経常利益は1億ドルを超えました。たった3年なんて、目覚ましい急成長ですね!
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