後期印象派の画家、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホと言えば、代表作「ひまわり」や「糸杉と星の見える道」などで日本でも非常に有名で人気も高いですね。
ゴッホがパリ郊外の農村で拳銃自殺を図り、37年の短い生涯の幕を閉じたというのは有名な話です。
先日には、彼が自殺に使ったとされる銃(1965年にパリ郊外の畑で農民が発見)がオークションにかけられ、約1980万円という高値で落札されています。
しかし、実はゴッホは自殺ではなく他殺だったのでは?という説が有力となっているというのです!!
今回は、ゴッホの他殺説について詳しく話していきます。
銃創分析専門家がゴッホは自殺ではないと断定
photo by BuzzFeed Unsolved Network
1890年7月29日、当時暮らしていたパリ郊外オーヴェル=シュル=オワーズの麦畑で拳銃自殺を図ったといわれているヴィンセント・ヴァン・ゴッホ。
自らの左腹部を撃った後、自力で帰宅し、29時間もの間苦しんだ末に亡くなったというのが証言などから得られるゴッホの拳銃自殺説です。
これまでにも、ゴッホの「自殺説」には少なからぬ疑問が投げかけられていたのですが、銃創分析の専門家であるヴィンセント・ディ・マイオ博士がゴッホの致命傷となった銃創を検証したところ、自殺ではないという結論に達したというのです!
ゴッホが自殺を図ったとされる銃創の位置が奇妙
マイオ博士によると、右利きのゴッホが左腹部を拳銃で撃つことは非常に困難だとしています。
もし拳銃を逆手に持って親指で引き金を引いたのだとしても、わざわざ左腹部に銃弾を撃ち込んで自殺を図る理由が見当たらないというのです。
自殺をするのであればこめかみに当てたり、口の中に突っ込んで引き金を引くのが常套手段ですよね。
手や腕に残っているはずの火傷や火薬の燃えかすがない
加えて、ゴッホの手に火傷や火薬の燃えかすが残っていた記録がないということも他殺説の信憑性を裏付ける理由の一つです。
この頃の銃器の火薬に使われていた「ブラック・パウダー」は非常に燃えやすく、危険で、『発火後は火薬の半分以上が真っ黒い燃えカスとして散乱する』という厄介な代物だったようです。
なので、体に銃口を密着させるような状態で発砲すれば、手や腕をヤケドしたり、火薬の燃えかすで真っ黒に汚れたりするはずですが、捜査記録には一切そのような報告はありませんでした。
自殺ではありえない奇妙な証拠たち
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未解決事件などを取り上げ続けているYouTubeチャンネル『BuzzFeed Unsolved Network』。
彼らが、2011年にスティーブン・ネイファー(Steven Naifeh)氏とグレゴリー・ホワイト・スミス(Gregory White Smith)氏によって出版された著書『Van Gogh: The Life』を紐解きながらゴッホの他殺説について詳しく語ってくれています。
ゴッホのあいまいな発言
まずは、自殺したとされる直後のゴッホが周囲に語った言葉。
「野原で自分を傷つけた。私はリボルバー(回転式連発拳銃)で自分自身を撃ったんだ。」
「誰も責めないでくれ。これは自分がやりたかったことなのだから。」
しかしベッドに横たわった後、薄れゆく意識の中で混乱し始めていたのか、警察官から「あなたは自殺しようとしたのですか?」という質問に、ゴッホは「I think so.(そうだと思います。)」と曖昧な返事をしています。
体内に残された銃弾の謎
ゴッホの体に残された銃創は、肋骨下部の左腹部がありました。
もし彼が自分の心臓を撃とうとして自殺を図ったのであればその場所は奇妙でした。しかも自殺として至近距離から銃を撃ったにもかかわらず、銃弾は彼の体に残されたままだったというのです。
それが意味するのは、ある程度離れた距離から銃が発砲されたと言うことに他なりません。
銃の入手経路と行方不明となった銃と画材
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加えて、当時ゴッホが住んでいたパリ郊外オーヴェル=シュル=オワーズで拳銃(リボルバー)はとても珍しい物でした。そして、誰も彼に銃を売っていなかったのです。
彼がどのようにして銃を手に入れたのか?というのも謎の一つです。
さらに、ゴッホが自殺をしたという場所へ警察官たちが行ったみたところ、銃は疎か、描いていたはずの絵やイーゼルがなくなっていました。
もちろんたまたま通りがかった人が盗んだのかもしれませんが、『Van Gogh: The Life』では違った見解をしています。
ゴッホと親交があった少年レネとガストン
ゴッホが住んでいたオーヴェル=シュル=オワーズでは、多くの人々が彼のことを避けていました。ボサボサの髪の毛にみすぼらしい格好。そして、切りとられた左耳。(よく彼の自画像で右側の耳に包帯を巻いていますが、それらは鏡写しで描いているため実際は左耳。)
そして、ゴッホは十代の少年たちから手ひどいイタズラを受けていました。
コーヒーに塩を入れられたり、絵筆の握りの部分に唐辛子を塗りつけられたり、終いには絵を描くための道具箱の中にヘビを入れられさえしました。
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レネ・セクレタ(Rene Secretan)という少年は、周囲の友人に
「僕らのお気に入りのゲームは、彼を怒らせることさ。簡単なんだぜ。」
と話していたとされています。
しかし、レネの兄、ガストン・セクレタ(Gaston Secretan)は芸術家を志しており、ゴッホからパリの芸術世界の話を聞くのが好きでした。もちろんゴッホをいじめるようなこともありませんでした。
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ゴッホもガストンのことをよく思っており、その友好関係があったので弟レネのするイタズラは大目に見ていたのです。
レネはガストンのように芸術に興味がなく、その代わりに釣りや狩りが好きでした。
ある日、レネは『バッファロー・ビル』という西部劇のショーをパリで見た後から全身ガンマンの格好を着るようになり、加えて、380ACP弾のピストルを持つようになります。
そのレネの格好をゴッホが見たとき、彼はレネを『パッファロー・ピル』とスペルミスで呼んでしまい、そのことにレネは激怒しました。
レネには、ゴッホが自分を馬鹿にしたように呼んだと思えたのでしょう。そのレネの怒りが、次の事故に繋がったのかもしれません。
少年たちが誤射しゴッホは彼らをかばった?
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『Van Gogh: The Life』によると、ゴッホが自殺したとされる当日、レネとガストンのどちらかが誤ってゴッホに向けて銃を発砲してしまい、左腹部に直撃。
その後、ゴッホはよろめきながら宿へ戻りました。
少年二人は当然ショックを受け、証拠を消すためにゴッホが描いていた絵とイーゼル、拳銃を持ち帰り隠したのかもしれないとされています。
そして、ゴッホは誰にもそのことを語ることはありませんでした。
ゴッホが亡くなって以降、レネはあれほど自慢にしていた銃を持ち歩くことはありませんでした。人が「銃はどうしたんだ?」とレネに聞くと「盗まれた」と話したそうです。
英語ですが、番組の司会をしている二人の会話がかなり面白いのでよかったらご覧下さい◎↓
これがゴッホ他殺説の話です。
もしこれが本当なら、ゴッホはなんて優しい人だったんでしょうね。
ガストンとは仲良くしていたものの、弟レネからはイタズラを受けていた。にもかかわらず、彼らの将来を案じ、彼らをかばって死んだのかもしれません。
もしくは、精神病や貧困、描いた絵が評価されない、女性や周囲の人々との関係など様々なことに苦しんでいたゴッホは、生への苦しみがこのような形で終わりを迎えられることをそのまま受け入れたのかもしれません。
一つはっきり言えることは、自殺でも他殺でも、ゴッホが描き残した数多の作品価値が落ちることはない、ということですね。