東日本大震災は、今年でもう7年目を迎えます。7年という月日がたった今、震災の記憶はどんどん遠のいて行ってます
「もう7年もたったのか。。。そんなこともあったなあ」と、薄らいだ記憶を少しだけ思い出して、また日々の忙しさに戻っていく。毎日、色々なことが起きて行く中で、私たちの記憶は薄っぺらであり、容易に忘却の彼方に葬り去られていってしまいます。
そんなことを言っている私自身がそうでした。「ああ、そんな怖ろしいこともあったね」と。
しかし、今一度、読者の方々に、そして、自分自身のためにも東日本大震災という未曾有の大災害の記憶を改めて洗い直し、日々の教訓にしていきたいと考え、今回自分なりにまとめてみました。
このサイトで使用したYoutube動画は、出来るだけ公式のものを用いるようにしました。
※これ以下の記事は、東日本大震災時の津波動画を多数掲載しております。震災の記憶を鮮明に呼び起こすものです。
そのような映像をご覧になりたくない方は、閲覧をお控え下さい。被災者の方で、もうそんなことは思い出したくない、という方も閲覧をお控え下さい。ご理解のほどよろしくお願いいたします。
東日本大震災の日時と震度
2011年3月11日、午後2時46分、宮城県沖130kmが震源でした。
地震の規模を示すモーメントマグニチュードは9.0、最大震度は7と、発生時において日本周辺における観測史上最大の地震でした。
しかし、地震そのものでの死者数はそれほどではありませんでした。
被害者が大幅に増加した原因。それは「津波」です。東日本大震災での死因のほとんどが、この津波によるものでした。
津波の力
ここから津波の動画をいくつか貼っていきます。津波の力をしっかり説明するためには、やはり映像の力が一番だからです。
これは「自然災害」です。誰かのせいで起きたものではなく、自然が起こしたことです。そして、これはまたいつか必ず我々を襲います。
4枚の大きな地盤プレートに挟まれている日本は、地震とは切っても切れない関係です。南海トラフ地震や首都直下型地震は50〜100年以内に起こるだろうと研究者は予見しています。
私は、東日本大震災で亡くなられた方々の命を無駄にしたくはないのです。その方々の命の分、我々はこれからを精一杯生き、そして、この災害を伝承し、教訓にする必要があると思います。なので、私は津波の動画を貼ります。
※最初にも申しましたが、ご覧になりたくない方は視聴をお控え下さい。
岩手県宮古市
岩手県釜石市
動画の冒頭に映っていた2名の方は、残念ながら津波に飲み込まれてしまったようです・・・・・
岩手県大船橋市
撮影者の男性は、嘆きながらもカメラを回し続けます。
「だめだー、だめだー。止めてくれー!」
「何が防波堤だよ!何が防潮堤だよ!!」
彼の言葉に私は涙が止まりませんでした。。。
宮城県南三陸町
宮城県気仙沼市
宮城県石巻市
宮城県仙台市
福島県相馬市
これらが現実に、この日本で起こったのです。信じられませんが、本当のことです。
津波のとんでもない威力がよく分かります。
では、津波警報が出たら我々はどうするべきか?
とにかく高いところへ逃げましょう!山が近くにあるなら駈け上がりましょう。
近くに山がないなら、鉄筋コンクリート製の高いビルに上がることをおすすめします。木造建ての家屋はすべてこのようになってしまいますので。
福島第一原子力発電所事故
東京電力の保有する福島第一原子力発電所での事故。
地震直後、いったんはディーゼル発電機による非常電源が作動したものの、地震発生してから41分後に大津波が発電所を直撃。その影響で非常発電装置が破壊され、原子炉の冷却装置が機能を果たさなくなりました。
一号機は翌日12日午前6時頃にはすべての燃料が炉心融解(メルトダウン)に至ったとみられています。そして、その日の午後3時36分に水素爆発を起こし大破。
2日後の14日午前5時頃には、三号機のメルトダウンが始まり、午前7時頃には、圧力容器の底を溶かし破って、燃料が格納容器へ溶け落ちました。そして、午前11時1分に同じく水素爆発。
翌15日の午前6時頃には、二、四号機も水素爆発。
それらの影響により、事故直後は多量の放射性物質が放出され、日本国内外へ広がってしまいました。汚染水の問題も深刻です。
国際原子力事象評価尺度(INES)においては最悪のレベル7に分類されており、1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故と同等の扱いをされています。
では、現在は?
原子炉建屋内のガレキの撤去や、溶け落ちた燃料(デブリ)の除去、汚染水を防ぐための凍土壁と、まだまだ問題は山積しております。
現在
死者・行方不明者、これまでの関連死を含め2万2千人を越えました。そして現在も、約7000人の人々が避難生活を送り続けています。
ガレキのほとんどは撤去され、道路整備も進んではいますが、まだまだどこか抜け落ちた感は拭い切れていません。
まだ多くの方が震災による心の痛みを抱え続けています。
福島第一原子力発電所事故による、東北の農産物への風評被害も忘れてはなりません。
私たちに出来ること
今回私は、一日中、震災関連の記事や映像を調べてきました。映像を見ながら何度も頭を抱え、胸が何度も締めつけられました。こんなことが本当に起こったのかと。
最初にも申しましたが、私たちに出来ることは、これを教訓にし、伝承していくこと。そして、今なお、東北の地で奮闘されてらっしゃる方々を応援していくことだと思います。